大学院を休学し、夢リストの中でまず一番最初にやりたかったのが四国八十八ヶ所を巡るお遍路の旅。
2022年10月下旬から12月初旬にかけて47日間、88ヶ寺+高野山奥の院までを歩き通しました。
歩き終えたあとに思ったのが
「25歳という若いうちにやってよかった、、、!」
お遍路というと定年退職後の方が人生の区切りとして挑戦することが多いのですが、若い人にこそ得られる価値があるとぼくは強く思います。
この記事では、ぼくが八十八ヶ所を巡るあいだに何を学んだのか、何に価値を感じたのか、そんなことを書き綴っていきます。
歩きお遍路の装備や心構えなどは別の記事で解説しようと思っていますので、少々お待ち下さい。
歩き遍路をやって良かった3つの理由
健康
ぼくが歩き遍路を始めた理由の一つが、精神的不調の改善でした。
大学院での研究に嫌気が差し、無理して研究室に通い続けたところ鬱に片足を突っ込んでしまいました。
その後休学し、少し動く元気が出るようになったところで、まずはうつ症状を治さなければならないと思いました。
どうしたら治るか考えたところ、陽の光にあたって運動したほうがいい、という結論になりました。
北海道出身なので、人気ローカル番組「水曜どうでしょう」を観てお遍路について知っていたぼくは、当時大阪に住んでいたこともあり、勢いでお遍路さんになることを決意しました。
人の手が及んでいない大自然を歩くことは、これまでの悩みや苦しみを少しずつ取り除いてくれました。
歩きはじめて2週間ほどはヒザ・肩・アキレス腱など体の至るところの怪我に悩まされました。
それはそれで辛いのですが、精神的な辛さとは別の辛さができることで、うまい具合に考えすぎず済みました。
そして怪我を乗り越えた先には、強靭な足腰を獲得することが出来ます。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」とよく言いますが、まさにそれです。
歩き終える頃には1日40kmほど歩けるようになり(最初は1日20kmで限界)、未来に対してワクワク感じられるようになりました。
この経験を通して、「体は資本」「元気があればなんでもできる」、これらの言葉の本当の意味を体で感じることが出来ました。
素敵な出会いと人の優しさ
四国遍路には、「お接待」という文化があります。
接待と聞けば、会社の利益になるように相手をもてなす、あの接待を思い浮かべると思いますが、ここでいう「お接待」は意味がまるで違う。
四国には、お遍路さんに対して見返りを求めず親切にする文化があります。
四国の人々は、お遍路が過酷であることを知っています。今は道もそれなりに整備されているし、文明の利器が発達しているのでまず死ぬことはありませんが、昔のお遍路はまさに命がけでした。
その頃からの名残で、今でもお遍路さんに対して親切にするよう子どもの頃から教えられています(地域にもよると思いますが)。
また、お遍路には「同行二人」という考え方があります。お遍路は常に弘法大師とともにあるということです。
したがって、お遍路さんに親切にするということは同時に弘法大師にお供えをするに等しいのです。
お接待をすることで、功徳を積むことが出来ると言われています。
お接待の説明が長くなりましたが、つまりその文化があるおかげで、1人で歩いているにも関わらず多くの出会いがあります。
みかん・飲み物・栄養ドリンク・缶コーヒーなど、「お遍路さ〜ん!」と呼び止め駆け寄って来てくれます。
あの瞬間がとてもあたたかい。。。
時にはたまたま一緒に歩くことになったお遍路さんからもお接待を受けました。
その日泊まる場所が決まっておらず困っていた時、「旅は道連れだ。宿代お接待してあげるから一緒の宿に泊まっていきなよ。」と言ってくれた熊本のおじさん。
同じ宿に泊まっていた方と早朝一緒に歩きだし、別れ際に「これで美味しいものでも食べな。」と言いながら1万円もの現金を手渡してくれた東京のおじさん。(基本的にお遍路さんはおじさんばっかりです笑)
3日目に最初で最大の難関と呼ばれる第12番焼山寺を一緒に登った香川のおじさん。その方は第84番屋島寺の近くに住んでいて、焼山寺だけを登りに来ていました。無事登りきり、「屋島寺まで来たら連絡して。お接待するから」といいその日はお別れ。約40日後に連絡を入れ再会。自宅に泊めてくださり、高級なすき焼きまでご馳走していただきました。
他にも様々な出会いがあり、それぞれが大切な思い出です。
そして学んだのは、「本当の優しさ」。
そこには、見返りなど一切求めない純粋な優しさがありました。
お遍路のお接待文化では、丸裸の優しさが感じられるのです。丸裸のぶん、心に直接沁みる。。。
ぼくもそんなことやさしい人間になりたい。強くそう思いました。
この考えは、今後の実生活やビジネスで必ず活きてくると思います。
自己分析
歩き遍路は、言うまでもなく歩いている時間がほとんどです。1日6〜10時間は歩いています。
その間できることはなにかといえば、考えること以外ありません。
頭の中でポッと出てきた問いに対して答えを探してみては、いつのまにか違うことを考えていたり。
ぼくが特に考えていたことは、「これからの自分」について。
大学院の研究という選択肢がなくなった今、自分はこれから何をしていきたいのか考えなければなりませんでした。
自分はなにが好きでなにが嫌いか。なにが得意でなにが苦手か。
自分の過去を整理することからはじめ、仮の答えを出したところで将来について当てはめてみました。
幸運にも自分のやりたいことが1つ見つかり、それが今生きる希望となっています。
ここで学んだのは、「一度立ち止まることがあってもいい」ということ。
高校から大学院まで、浪人も留年もなくノンストップで過ごしてきました。
ただ、それだと自分を見つめ直すことが難しい。
周りの環境に流されず自分の心の声を聞くためには、なにもないところで自分と対話するべきです。
四国の大自然はそれを可能にしてくれました。
まとめ
1ヶ月半も家なしの状態でいる、つまり長い期間旅をすることは人生で初めてでした。
夢リストには他にも「日本一周」や「世界一周」などもありますが、この四国遍路を終えると、「全然叶えられる夢だな」と思えるように。
歩き始めたあの日。お金や怪我、犯罪、遭難など、多くの不安がありましたが、終えてみると本当に挑戦してみてよかったと思います。
今後の人生の大きな糧になってくれるのは間違いないです。
ここまで読んでくれたあなたに、歩き遍路の魅力が伝わってくれてたらうれしいなぁ。
ありがとうございました。