26歳になり、20代も後半戦にはみ出しています。
まだまだ人生うまくいかず、悩むことばかり。
お金も底をつきかけ、この先どうしていこうか考えていたとき、たまたま「20代で得た知見」を貸してもらい読むことに。
私がこれまでに得た知見と重ね合わせながら読んでいると、いくつか心に響く文章がありました。
ここでは、この記事を読んでいるあなたにもきっと響くであろう言葉をいくつか紹介したいと思います。
長くなりすぎないために前後の文脈を省略しているので、伝えきれない部分もあると思います。
なので、この記事を読んで気になった方はぜひこの本を手にとっていただきたいです。
「22 ずっと好きでいる、なんて誰にもできない」より
常に好きでなくてもいい。そんな猶予を私たちは自分の仕事にも音楽や映画にも、街にも、友人家族にも、同じように恋人にも、自分にも与えるべきだと思うのです。
20代で得た知見 / F
「好きなことで、生きていく」
なんて生き方がいやでも目に入る昨今。
インターネットの普及によって、自分の趣味や知識を発信することで誰でもお金を稼げるようになりました。
いや、なってしまったとも言えるかもしれません。
誰でもそこを目指せるようになったことで、好きの呪縛に囚われてしまう人も多いのではないでしょうか。
私自身もその一人。
仕事に苦しみや辛さはつきものだということは分かっていても、どこまでも理想を追い求めてしまう。
でも現実は決して追いつかない。
恋人もそう。
いいところじゃなくて嫌なところばかりが気になってしまう。
でもそんな完璧な人はどこにもいない。
この文章を読んで、少し反省するとともに気持ちがラクになった気がします。
私の心に猶予を与えてくれました。
「24 継続しない選択」より
辞めるか辞めないかという重い決断の時こそ、私は「軽さ」を重んじます。「面白いか面白くないか」「笑ってもらえるか笑ってもらえないか」「エロいかエロくないか」「美しいか、そうではないか」を重んじる。どちらか迷ったら、そのくらいのシンプルさに立ち返る方がよいと考えています。
20代で得た知見 / F
年を重ねるにつれ、自分を縛るものが複雑に絡みついてくるのを感じます。
全く身動きがとれなくなり、心を病みかけてしまう人、完全に病んでしまう人もときに見かけます。
私も大学院在学中に心を病みかけ、研究室に行けなくなることがありました。
幸いうつ病になる手前で休むことができ、冷静に考える元気もギリギリあった。
そのときに休学するかしないかという選択を迫られ、女手一つで育ててくれた母、容易に底が見えそうな貯金、同棲している彼女についてなど色々と悩みました。
けど最後決め手になったのは、「自分の心がワクワクするか、そうでないか」。
心はすでに答えを知っていたのです。
その心の声を聞き逃してはいけない。普段から聞こうと努力しなければいけない。
そうすれば悩みや苦しみも軽減することができるでしょう。
もっと軽率にものごとを決めればよいのです。
「26 普通なんかさっさと諦めなさい」より
凹と凸があるから、交われる。欠点があるから、完璧ではないから、魅せられる。あら、いやらしい話をしてしまったかしら。でもすべてはそういうことなのですよ。お取り繕いはもうおしまい。いかにだめな人物か、私たちは大いに曝け出しましょう。
20代で得た知見 / F
まわりを見渡せば、普通に就職して、普通にパートナーを見つけ、普通に結婚している。
でも自分はそれができない。
普通ってなんだろう。普通の人に生まれたかった。
でもある時、普通を諦めることができました。
それはMr.Childrenの「優しい歌」を聴いていたとき。
出口のない自問自答 何度繰り返しても やっぱり僕は僕でしかないなら
どちらに転んだとしても それはやはり僕だろう
そのスニーカーのヒモを結んだなら さぁ行こう
優しい歌 / Mr.Children
思い切って踏み出したさきには、自分と似たような人、語弊をおそれなければ「社会不適合者」のような人ばかり。
それでもみんな幸せそうに生きていた。
社会不適合者ばんざい。社会の枠になんてはまらなくていい。と言われたような気がした。
咲く季節を間違えた桜のように狂い咲け。
「62 インプット・アウトプットの最終定義」より
自分の心を動かしたものだけが、真のインプットである。誰かの心を動かしたものだけが、真のアウトプットである。
20代で得た知見 / F
過去にYouTubeチャンネルで発信していたことがあります。
元々自分の意見や考えを話すことが苦手だったのですが、同じ悩みに苦しんでいる人の助けになれればいいなと思い始めました(一発当ててお金を稼ぎたいという下心もありましたが、下心も立派な動機ですよね?)。
うれしいことに登録者も順調に伸び、いくつかの動画は数十万回も見ていただくことができました。
するとコメント欄にはたくさんの感謝が。
そのときに私はアウトプットの喜びや真髄を感じたように思います。
じゃあこれからも人の心を動かすアウトプットを続けるためにはどうすればいいのか。
それは「自分の心を動かす文章を集めること」。
それ以降、人の話を聴くことや読書することもとても好きになりました。
このブログでもあなたの心を動かせればいいなと思っていますので、対戦よろしくおねがいします。
「88 孤高の宝石」より
誰もがやっていることは、誰もがやっているがゆえに、価値がありません。希少でなければ価値がない。宝石も人間も、同じです。ベストセラーなんか人に読ませておけばよろしい。(中略)英語の資格や法律の資格のお勉強なんざ、暗記がお得意などなたかに任せて、いまだかつて誰も語ったことのないことを見て聴いて感じて、書いたり話したりする人の方が余程面白いでしょう。
20代で得た知見 / F
一部の人、いや大半の人から反感を買いそうな文章です。
目の前に並べられた仕事をこなすだけ。代わりなんていくらでもいる。世の中にはそんな仕事が99%です。
そこを否定されれば自分の存在意義そのものが揺らぎ崩れ落ちてしまう。だから「それは違う」と言いたくなる。
けれど、誰もが希少性の重要さにも気づいている。子供の頃は自分は特別だと思っていたはず。
大人になるにつれて無難へと無難へと流されていき、数多くの夢を諦めてきた。
だからこそ、今からでも遅くはない。
「希少でなければ価値がない」
この言葉を一旦血液に流し込んで、生きてみてもいいのではないでしょうか。
その後の人生の話、私に聞かせてほしいです。
「114 百万に愛されるインフルエンサーの憂鬱」より
私たちはそもそも本当に大事な、ただ一人に話を聴いてほしいと思っていた。届けばいいと思っていた。
20代で得た知見 / F
YouTubeで登録者1万人を達成。再生回数10万回以上の動画をいくつかつくりました。
100万人には全く及びませんがね。
さて、少し影響力を得ると人から感謝されたり応援されたりすることが増えます。とてもうれしいことです。
しかし孤独感は拭えない。それはなぜか。
本当に届いて欲しい人に届いていないから。
それに気づいてから、会いたい人に会い、言いたいことを言うように心がけています。
一人から愛されれば、それで十分しあわせなのです。それが難しいのですが。
「118 真夜中0時に何度でも集合せよ」より
真夜中0時に集合して、どうでもいい話をしながら線路沿いを地図も見ずに延々と歩く。おなかがすけばコンビニでお湯を入れたカップヌードルを食べる。深夜営業の映画館があったらそこに飛び込んでもいい。映画館を出たらサイゼリヤで感想を話すのだって楽しい。そして始発で別れる。そんな友達が欲しい。
20代で得た知見 / F
大学生のころはよくこんなことをしていました。意味もなく集合することができた。
けど今は理由がないとなかなか会えない。大人になるとはそういうことなのでしょうか。
誰か私と退化してくれないかなぁ。
今もそんなことができる友達がいるなら、あなたはきっと幸せです。
「125 もういっそ全部 凄い下手くそだった時代に」より
大人になると、どうすれば傷つかずに済むか、そんな計算ばかり上手くなる。期待し過ぎず、絶望し過ぎず、嫉妬し過ぎず、惚れ過ぎず、怒り過ぎず、悲しみ過ぎない。そんな逆算ばっかり器用になる。でも器用って退屈なのだ。
20代で得た知見 / F
本書の中でこの言葉が一番ぐさりと刺さりました。
リスクを恐れず、いつまでも服のまま海に飛び込める心をもっていたいものです。
「137 歳を取るとできなくなる三つのこと」より
「めんどくさいものほど面白い」「面白いものはめんどくさい」と言い聞かせて。
20代で得た知見 / F
本書では「長編小説を読むこと」「バッドエンドの映画を見ること」「旅行に行くこと」が、歳を取るとできなくなると書かれています。
Fさんは1989年生まれの30代前半。その歳ですでにそう思っているそう。
だったら20代の今、動かないと。
月並みですが、今が一番若いときです。
「149 私たちは美しく敗北するために生まれてきたのだ」より
人生が激変する瞬間とは「絶対この人には勝てない」と心底確信した瞬間だと私は思います。(中略)ちゃんと敗北し、再起する瞬間、人生に真の分岐点が訪れるように思うのです。
20代で得た知見 / F
どの世界にも「この人には敵わない」という人がいると思います。
私は研究の世界に少し身を置いていたのですが、教授という生き物は狂ったように研究に夢中です。
学生にもそういう人がいます。365日あったら360日は研究室にいるようなやつが。
思わず「やつ」と呼びたくなるほど、圧倒的なモンスターのような人間が。
私は敗北を宣言せざるを得ませんでした。そんなやつらがウヨウヨいるところで私は潰れてしまうと直感しました。
しかし、敗北は同時に私たちにバネを与えてくれます。
敗戦後の日本を想像すればわかりやすい。あの敗北があるから今の平和がある。
もちろん全てが良くなるわけではありませんが、必ずいい方向に向かうと信じています。
「156 我々が言うべきただ一つの台詞」より
我々が言うべき台詞はたった一つです。うるせえ。黙ってろ。私はわたしの好きなように生きる。おまえもおまえの好きなように生きて死ね。
20代で得た知見 / F
死ねとまでは思いませんが、自分の人生に口出ししてくる人にはイラッとしてしまいます。
そんな暇があったら自分の心配しとけよと思います。
YouTubeのコメント欄に多く生息していました。
「死ね」の前に「私はわたしの好きなように生きる。おまえもおまえの好きなように生きて」を修飾することで、こんなに博愛のある言葉になるとは。
日本語って美しい。
「159 復縁について」
もしもどなたかと復縁してもいいかなとお考えなら「映画の続編は大抵つまらない」ということを思い出したほうがいいかもしれません。それでも続編を作るおつもりなら、「前作はなかったことにするほど全くの別物の傑作を作る」という覚悟が必要です。
20代で得た知見 / F
私には別物の傑作を作る自信はないので、復縁という選択肢は全くありません。
実証済みでもあります。
「163 「幸せになるために不幸になる必要はない」」より
「あなたが好きで選んだはずのものに愚痴を言うのはおかしい。嫌なら辞めろ。幸せになるために不幸になる必要は一切ないだろ。死に急いでるつもりなら、もっと格好良く死ね」
20代で得た知見 / F
嫌で嫌で仕方ない仕事に耐えながら、たまに泣きながら仕事をしている人には厳しい言い方だとは思います。
だけどドドドド正論。残念ながら待っていてもなにも変わりません。
けれども「嫌なら辞めろ」の後ろを聞くと、大切にされていることを感じます。
大切な人が不幸でいるところなんて見たくないんです。
ここまで強く言われれば、同じ過ちを繰り返すことはないでしょう。
そして言葉の裏の愛を感じ取れたFさんもやはり素敵です。
関係性が浅ければ、大喧嘩になるでしょうね。
「171 失恋の終わりに」より
以前元恋人と再開して話した時、なんでこんな人のことを好きになったのか、全く思い出せなかった。(中略)けれど、こんな風にシャンとするまでに出会った、素晴らしい人たち、素晴らしい関係のことを思えば、人生が虚しいとは到底思えない。
20代で得た知見 / F
大失恋のあとに支えてくれるのは必ず人なんですよね。
友達はもちろんです。だけど意外と赤の他人との会話が救ってくれることも多い。
彼らにとっては私の失恋なんてほとんどどうでもいいので、悲しみを豪快に吹き飛ばしてしまいます。
その残酷さが心地よい。
「176 些末で、ロマンチックでもない、ただし重大な決断をした三人の男の物語」より
結婚なんて、軽率にしてしまえばよい。
20代で得た知見 / F
ここでは、3人の人物の結婚までの経緯が書かれている。
これらは極めて個人的で、普遍化できない。ロマンチックでもなんでもない。
けれどもその全てが事実であり真実なのである。
参考にならないからインターネットにも書いていない。
結婚とはそういうものなのである。
だからこそ、結婚は軽率にしてしまえばいい。とFさんは言う。
「181 私の幸福論」
私たちは幸福と不幸、そのジェットコースターの間でしか、人生を認識できないのではないか。(中略)ならば私たちは、それが不幸であろうが幸福であろうが心が動くその瞬間に、己の全感性をかけるようにして生きるしかないんじゃないか。
20代で得た知見 / F
人生は不幸と幸福を繰り返しただけ、その振り幅が大きいだけ記憶に残るものになると私は考えます。
だから不幸上等。
そこから這い上がるときの過程を精一杯感じればよい。
高ければ高いところから落ちたほうが、また不幸もとんでもないだろう。
精一杯また苦しめばいい。どうせ死ぬんだから。
富士Qより激しい人生を。
まとめ
現在26歳の私の解釈であるので、薄っぺらかったり見当外れなことを書いているかもしれないです。
また30歳になって本書を読んだら、感じることも変わると思います。
できれば全く共感できない知見を得て、発表できればと思っています。